甘楽郡下仁田町下仁田の山際公園。
ここに幕末の下仁田戦争に関する碑が2つある。

義烈千秋の碑 (1)
義烈千秋の碑 (2)
義烈千秋の碑。

明治33年(1900年)に、旧水戸藩士の呼びかけで建立された。篆額は彰仁親王。碑には下仁田戦争での水戸浪士の奮闘ぶりが記載されている。

元治元年(1864年)、尊王攘夷を唱える水戸天狗党と、幕府の命を受けた高崎藩との間で、激しい戦闘が行われている。世に言う下仁田戦争。下仁田戦争は水戸天狗党が勝利しているが、高崎藩戦死者36名、天狗党死者4名。

義烈千秋の碑 (3)
維新之礎碑。

回天神社創建20周年記念事業委員会が、平成4年(1992年)に建てたもの。下仁田の人々が戦火で被害を受けたにも関わらず、戦死した水戸浪士4名を手厚く葬ったことに対する謝辞が記載されている。

回天神社は茨城県水戸市にある神社で、幕末の動乱期、「安政の大獄」、「桜田門外の変」、「坂下門外の変」、「天狗党の乱」などで国事に殉じた水戸藩士を中心とした志士を祀る。

下仁田戦争は、鎧・兜をつけ、槍・刀で白兵戦があった最後の戦いといわれている。

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