富岡市後賀の小野の塩薬師。


古くは石薬師と呼ばれ、8世紀頃の造立といわれる。
世界三大美人のひとりである小野小町が、故郷である出羽国に帰郷の折、この地で大病を患ったため、小庵を建て治療と仏道の日々を送っていた。この庵が後の得成寺。
(「小野小町の開基・小町山得成寺」参照)


ある時小町の夢枕に不動明王が立ち、「近くにある石薬師に千日祈願を掛け、傍の霊水で身を清めると忽ち快癒するだろう。」とお告げがあった。
小町は千日間かかさず石薬師に通ったが、一向に快方に向わなかったため薬師様に対して「南無薬師 まずは諸願の叶はずば 身より仏の名こそ惜しけれ」と詠んだ。
その夜、今度は薬師様が夢枕に立ち、「むらさめは 唯一時のものぞかし おのが身のかさ ここにぬぎおけ」と返しの和歌を詠んだ。
小町が目が覚めると、病は全快していたという。小町はお礼に石薬師に塩を供えて、再び故郷へ向け旅立ったという。この話を聞いた村人たちは、いつからか塩薬師と呼ぶようになった。
上の写真の右側に写っている丸い石には、小町と薬師如来の問答歌が刻まれている。

塩薬師のすぐ裏と言うか南側には、昭和23年(1948年)に掛けられ、昭和37年(1962年)まで使われていた吊り橋の跡が残っている。
橋を渡る人は、塩薬師のすぐ横を通っていたことになる。そのため自然とより身近な薬師様になっているんだと思う。
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