甘楽郡甘楽町造石の法華経供養遺跡。

法華経供養遺跡 (1)
法華経供養遺跡 (2)
釈迦堂を中心に、地蔵堂、石造地蔵菩薩像、宝塔、石燈籠などからなる遺跡。遺跡というと違和感があるけどね。右が地蔵堂で左が釈迦堂。

法華経供養遺跡 (3)
地蔵堂内の地蔵像は、高さ2.3mで半跏座(はんかざ)の姿勢をとっている。凝灰岩を組合わせて造られた(組石造り)地蔵像は、ユーモラスである。

体内に「細川」「忠興」「興秋」「義輝」等の文字が刻まれている。細川は細川家、忠興は藤孝の長男、興秋は忠興の二男、義輝は室町幕府第13代将軍の足利義輝のことと考えられる。

法華経供養遺跡 (4)
こちらは、釈迦堂内の釈迦像。

この「遺跡」と法華経のつながりが分からない。よくよく調べてみると、江戸初期に法華経を千回読誦した人がいて、読誦の記念にここに石仏などを作ったということらしい。

法華経供養遺跡 (5)
お堂裏には長岡家歴代当主の墓がある。長岡家は、江戸時代この地の名主を代々勤めた名家である。

法華経を千回読誦したのは、長岡家の関係者??