前回に引き続き、甘楽郡甘楽町轟の鷲翎山宝積寺。
女性の嫉妬にまつわる伝説がある。

戦国時代末期、この地方を治めていた小幡信貞に、「お菊」という腰元がいた。お菊は、美しく、心優しい女性であった。信貞はこのお菊を寵愛し、片時も自分のそばから離そうとしなかった。
そのため、奥方や他の腰元たちの嫉妬心は日に日に増し、信貞留守中に奥方のお膳に針を落とし、それをお菊のせいにした。
お菊は無実の罪で、石櫃に毒蛇、ムカデと一緒に入れられ、菊が池に沈められてしまった。お菊19歳、天正14年(1586年)のこと(菊が池は後から付けられた名前だと思う)。
上の写真はお菊とその母親の墓。


その後、何度となく追善の供養が行われ、明和5年(1768年)江戸の高僧・万仭道坦禅師(ばんじんどうたんぜんし)や、大勢の人たちの努力により、菊が池に大権現として祀られた。
どっかで似たような話を聞いたことがあると思ったら、
「「「お辻」の供養塔 -善長寺-」
「前橋市大手町一丁目・虎姫観音堂」
相変わらず、女性の嫉妬はすさまじい。
あと、このお菊伝説は「番町皿屋敷」の元になったと言う説もある。
コメント