高崎市新町の落合山(高尾山)宝勝寺。

宝勝寺は天文11年(1542年)義尊の開山。寛文2年(1662年)清元を中興開山としている。山門の扁額は落合山になっている。
大正7年(1918年)に高尾山の飯縄大権現を奉安。このため高尾山の山号で呼ばれることもある。

本堂は明治42年(1909年)の建立。


宝暦11年(1761年)に大黒屋・高橋治左衛門が寄進した鐘楼門。

墓地の南西(?)隅にある小判供養塔。
昭和4年(1929年)下水道工事中に、小判と一分金が大量に入った甕が発見され、新町中が大騒ぎになった。当然、誰のものになるのか? ということになるんだけど・・・。
協議の結果、発見者・土地所有者・旧地主・旧借家人に分配されることになった。
新町は江戸時代の宿場町だが、享保元年(1716年)に加賀前田藩が国元から江戸へ大金を届ける途中、この新町宿で盗難にあい、勘定方・土師清大夫が切腹するという事件があった。
その時のお金ではないかという噂がたち、もらった方々も気持ちが良くなかったみたいで、小判の形をした「小判供養塔」を建立した。
うちのたんぼからも、小判でも出てこないかな・・・。
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