高崎市吉井町神保の辛科(からしな)神社。

辛科神社 (1)
大宝年間(701~703年)に新羅系渡来人によって創建されたと伝わる。辛科は韓級と書いたともいわれ、渡来系の人々とゆかりが深い。この地域と渡来人とのつながりを示す史料は多く残されており、新羅系の一族193人に吉井連の姓が与えられたと、続日本紀に書かれている。

辛科神社 (2)
辛科神社 (3)
権現造りの随身門は寛政9年(1791年)の修復。中には青銅製(?)の狛犬がいた。

辛科神社 (4)
辛科神社 (5)
春日造りの本殿、流破風造りの拝殿は、寛文元年(1661年)に修復されている。社宝は源頼朝が建久8年(1197年)に奉納したと伝わる懸仏。

辛科神社 (6)
辛科神社 (7)
本殿側面の彫刻は、題材はよく分からないが、何となく大陸風??

辛科神社 (8)
辛科神社創建後の和銅4年(711年)には多胡郡が設置され、辛科神社は多胡郡の総鎮守になっている。多胡郡司・羊太夫との関係も深いとされる。そんなことからか、多胡碑のレプリカがあった。(多胡碑は、上毛かるた紀行「昔を語る 多胡の古碑」参照。)

この辺は多胡郡が設置される前は甘良郡(当時はこう書いた)で、この甘良は韓や伽羅に通じる。また、多胡郡の胡は、中国での異民族の称。唐代には広く西域異民族を指した。転じて、西から来た異民族(渡来人)が多く住む郡という意味だね。