高崎市箕郷町東明屋の布留山石上寺。

石上寺 (2)
石上寺は貞観4年(862年)在原業平の開基、弘法大師3世の嫡孫・常喜院真覚僧正の開山とされる。

箕輪城を拠点としていた長野氏は、在原業平の末裔を自称していた。業平は六歌仙・三十六歌仙の一人で歌人として有名だが、平城天皇の孫にあたる貴族である。「伊勢物語」は業平の物語とされ、その中に東下りが出てくることからの伝説(伝承)であろう。

石上寺 (1)
弘治3年(1557年)の武田勢の箕輪城攻めの際に焼失。後に箕輪城主となった井伊直政が天正19年(1591年)に再建している。

慶長3年(1598年)に井伊直政が箕輪から高崎に拠点を移した際、石上寺も高崎に移転している。現在の住所で言うと宮元町(東電の営業所あたり)。

石上寺 (3)
石上寺 (4)
山門に使われていた鬼瓦や入り口の輪廻の塔(延徳3年(1491年))、六地蔵石幢(文明6年(1474年))、白衣観音の道標(嘉永3年(1850年))、薬師像などの石造物が残されている。

とは言え、雑草に埋もれて見えない石仏もあったんだと思う。特に山門辺りは、雑草をかき分けって感じだったので。

ところで高崎に移転した石上寺は、明治24年(1891年)に三ツ寺村(現高崎市三ツ寺町)の宗慶寺と合併し移転している。群馬郡誌(大正14年:1925年刊)では、箕郷の石上寺を従来からの石上寺、三ツ寺の石上寺は宗慶寺の引き継ぎとして記している。

実際のところの寺格や位置づけなどは分からないが、現在の石上寺が移転後も地域の信徒により護られてきたことは確かである。