高崎市岩鼻町の福聚山観音寺。



天正18年(1590年)徳川家康の関東入部以降、岩鼻は前橋藩領であったが寛延2年(1749年)酒井氏転封後は幕府天領となった。寛政5年(1793年)岩鼻に代官の陣屋が設置され、初代代官として吉川栄左衛門と近藤和四郎が任命された。

吉川栄左衛門の出身地は相州中原村(現、神奈川県)で、祖先は代々御殿番を勤めた家柄である。文化7年(1810年)69歳で死去するまで19年間代官職を務めた。
慶応4年(1868年)明治に改元されるちょっと前に、明治新政府により岩鼻県が設置された。県庁は岩鼻代官所。まあ、岩鼻県は3年で廃止され、第1次群馬県になるけど。(今の埼玉県の一部は入間県)(岩鼻陣屋跡は「高崎市岩鼻町・岩鼻陣屋跡」参照。)
ちなみに「赤城の山も今宵限り・・・」のセリフで有名な国定忠治が殴り込んだ代官所は、ここである。とは言っても殴り込み自体は作り話だけどね。
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