高崎市高松町の高崎城址。

高崎には古くは和田城と呼ばれる城があった。和田城の創建は平安時代末に、この地の豪族・和田義信が築城したといわれる。
その後、徳川家康の関東入部とともに箕輪城主となっていた井伊直政は、慶長3年(1598年)和田故城の城地に近世城郭を築いた。この際、箕輪より町家や社寺を移して城下町を築いている。


高崎城は烏川に沿って造られた輪郭梯郭複合式の平城で、本丸には三層天守と乾、艮、巽、坤の4基の隅櫓があった。現存するのは乾櫓のみである。

城内には本丸門など16の門があり、通用門として使われていた東門のみ移築復元されている。


城の周りは土塁で囲まれ、石塁はほとんど造られなかったが、一部現存している。

水堀は現在の町並みにも活用されており、当時の面影を今に伝えている。
高崎城も例外でなく、城址は官庁街になっている。群馬県で2番目に高い市役所や検察庁、裁判所など。
でも群馬県で建物が残る城址は、高崎城だけなので貴重な存在ではあるけどね(門が残っている城址はある)。
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