藤岡市森の少林山泉通寺。

泉通寺 (1)
泉通寺は永正6年(1509年)長年寺2世・宝晃知證の開山、小林出羽守政忠の開基。山号の少林山は政忠の法名「少林院殿光山宗厳」から。また、政忠は長根村(現吉井町長根)の熊野権現(現長根神社)に鰐口を奉納した小林豊後守秀政の弟である。
(「高崎市吉井町長根・長根神社」参照)

秀政が鰐口を奉納したのが天正17年(1589年)なので、弟である政忠が永正6年に泉通寺を開基しているのは、年代的に少し疑問が残る。永禄6年(1563年)だと合うのだが・・・。

泉通寺 (2)
泉通寺 (3)
門前の六地蔵や石仏類。

泉通寺 (4)
山門から本堂の間には松が植えられており、松並木のようになっている。

泉通寺 (5)
泉通寺 (6)
本堂には本尊の釈迦如来を祀る。

泉通寺 (7)
開基の小林忠政の墓(供養塔)。

泉通寺 (8)
境内の藤岡市小野地区戦没者供養塔(忠魂碑)。

泉通寺 (9)
泉通寺 (10)
梵鐘は先の大戦時に供出、昭和30年(1955年)に再建されている。

梵鐘には「報恩孝順大和尚」とある。孝順は泉通寺17世として嘉永7年(1855年)~安政5年(1859年)まで住職を務めている。孝順は物理の知識を持ち合わせており、中村堰と呼ばれる用水施設の暗きょ化を行い水害に強い灌漑水路としている。これにより小野地区周辺の稲作耕地は飛躍的に増えることとなった。