高崎市吉井町上奥平の奥平山宝珠院正雲寺。

宝珠院の創建は不詳だが、治承年間(1177~81年)赤松則景の子・氏行が小幡を領し、その子・吉行(奥平氏の祖)が奥平に住して以来、奥平氏の祈願所としている。
赤松氏は室町時代の有力な守護大名として知られるが、奥平氏は赤松氏の末裔と称している。奥平氏は8代・貞俊の時に三河国作手に移り住んでいる。天授年間(1375~81年)とも応永年間(1394~1428年)ともいわれる。


本堂などは元は裏山の中腹にあったが、山崩れや暴風雨(台風)などでたびたび被害を受ける。昭和49年(1974年)にも台風により損壊したため、現在地に再建されている。


観音堂も本堂同様、現在地に再建されている。

安置されている聖観音は天平年間(729~49年)当地に立ち寄った行基の作と伝わる。天和3年(1683年)銘の胎内札がある。


本堂裏から旧寺域への石段がある。けっこう急な石段だが、訪れる人もいないためか、途中竹が倒れていて尚更登りづらい。

旧寺域は奥の院とされ、石祠が建っている。昭和49年(1974年)の建立。
宝珠院に伝わる話として、桂昌院(徳川家光の側室で、綱吉の生母)が信州・善光寺参りの途中に当地で病を得、宝珠院の観快に命じて病魔退散の護摩祈祷を行わせたところ病気が快癒。大いに喜び伽藍を建立したという。
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