伊勢崎市境上矢島の珠宝山徳蔵寺。
徳蔵寺は文禄3年(1594年)南頼広の創建。南頼広は京都御所の警護武士だった父親・南義頼とともに、永禄5年(1562年)に上矢島地区に移住してきている。
本堂は明治34年(1901年)に入母屋造り瓦葺きに改築されている。
歴代住職の墓所には、釈迦涅槃石仏があった。平成11年(1999年)の建立。
境内の池の手前にある2基の石塔。徳蔵寺はもともと新田政義の3男・谷島信氏の館跡だったところ。この石塔が何を示しているのか不明であるが、まあそう言うこと。
新田政義は新田氏没落の原因を作ったひとで、義貞のころには新田氏は無位無官になっていた。
谷島氏に関してはよく分からないが、義貞の鎌倉攻めに従い、稲村ケ崎から鎌倉に攻め入った中に矢島次郎と言う名前が見られる。いくつかの資料に谷島氏=矢島氏とあるので、谷島信氏の末裔かな。
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