高崎市下室田町の矢背負稲荷神社。
矢背負稲荷神社の創建は不詳。創建の逸話として、里見義俊が京都・藤森神社を参拝した夜、夢枕に社神が現れ妻黒の矢を賜り「いずれ汝を護りて関東に至らん」と告げた。里見に戻った義俊は領内を巡視したところ、矢を背負った白狐が馬前を通り山中に消えた。後を追ったところ矢が立ててあり、手に取ると夢に見た妻黒の矢であった。そこで、この地に社を建て矢背負稲荷として祀ったという。里見義俊は新田氏の祖・義重の庶長子で、里見氏の祖である。
また他説では、武田勢の鷹留城(箕輪城の支城)攻めの際、山に棲む白狐が霊力で山全体を霧で覆い武田勢を惑わしたが、5日目に流れ矢に当たり霊力を失い霧が晴れ鷹留城は落城した。白狐の死を悼み村人が社を建てたともいわれる。
創建は前者だと鎌倉初期、後者だと室町後期(戦国期)となる。まあ、どっちの逸話も信憑性がある訳ではないけど。
一の鳥居前の駐車スペースから参道(林道)を上っていくと二の鳥居が見えてくる。そんなに遠くない、と言うか思ったより近い。
お社へ上る石段脇には狐像が置かれている。金ピカの狐像も。
お社、上屋は平成8年(1996年)の新築建立。
中には狐像が多数置かれている。これは初午祭の時に、参拝者に対して授けられるもの。これを持ち帰り翌年の初午の際に返し、新たにまた狐像を授かり持ち帰るを繰り返す風習が残されている。
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