伊勢崎市曲輪町の白華山同聚院円満寺。

同聚院 (1)
同聚院は平治元年(1159年)赤石城主・三浦義明が赤石左衛門の菩提を弔うため、鎌倉・建長寺の智海を招いて創建したといわれている。三浦義明は鎌倉幕府創立期の重臣で、千葉常胤・上総広常・土肥実平らと共に頼朝の宿老となり、その後も一ノ谷の戦いや壇ノ浦の戦い奥州合戦に参戦して武功を挙げている。

元は臨済宗であったが、元徳2年(1330年)新田郡・金龍寺住職が兼務したため曹洞宗に改められている。その後、兵火に罹り焼失したが、弘治元年(1555~58年)天意が再建している。

同聚院 (2)
この門は伊勢崎藩主・稲垣長茂の屋敷門である。長茂は現在の同聚院付近に館を構え、陣屋の完成後に館は同聚院に引き継がれた。

同聚院本堂の建替えはあったが、門はそのまま残された。門の構造は瓦葺きの切妻造りで、本柱4本と控柱4本の4脚門である。本柱の位置が屋根の棟よりも前にずれる薬医門の形式をとっている。

伊勢崎市内に残る最古の木造建築物といわれる。

同聚院 (3)
同聚院 (4)
歴史のある武家門を入ると、目を引く本堂がある。いつの再建かは知らないが、お寺の本堂としてはユニークな造りである。

同聚院 (5)
本堂右手前には文明12年(1480年)建立の石幢(せきどう)がある。宝珠・請花・屋蓋(おくがい)・龕(がん)・中台・竿・基礎からなり、高さは154cmの安山岩製。円形の竿以外は六角形をしている。各面には願主と考えられる6人の女性の名が刻まれている。

同聚院 (6)
墓地には伊勢崎藩の家老だった関當義・重嶷父子の墓がある。

関家は代々伊勢崎藩の家老職を務めた家柄で、當義は飢饉や浅間山大噴火による利根川洪水被害の領民救済に務め、重嶷は藩校学習堂の設置や領内に八校の郷学を興した。ともに朱子学的経世観をもって藩政にあたり治世に大きく貢献した。