高崎市下室田町の駒寄諏訪神社。

駒寄諏訪神社 (1)
駒寄諏訪神社の創建年は不詳だが、八坂神社として創建。一説には里見義尭の創建ともいわれる。ただ、義尭は安房里見氏の第5代なので、上野国との繋がりはよく分からない。

灯籠は昭和26年(1951年)奉納。「講和記念」とあったので、サンフランシスコ講和条約の締結で、戦後日本が独立した記念のようだ。

駒寄諏訪神社 (2)
駒寄諏訪神社 (3)
駒寄諏訪神社 (4)
天文20年(1551年)諏訪貞俊が社殿を改築し、諏訪明神を追祀して諏訪神社となっている。諏訪貞俊についてはよく分からない。また他説では武田信玄の箕輪城攻略時、下諏訪明神の分霊を祀り諏訪神社としたともいわれる。

駒寄諏訪神社 (5)
社殿裏の末社群。実はこの中に創建社である八坂神社もある(どれだか分からなかった)。

駒寄諏訪神社 (6)
駒寄諏訪神社 (7)
駒寄諏訪神社 (8)
境内社の玉造稲荷神社。玉造稲荷に関しては次のような伝承が残されている。

時代は不明だが、路傍で人や馬が怪我をすることが多く、住民は難儀をしていた。ある時、旅の行者が玉造稲荷で祈祷した折、石が障りとなっているので取り出して玉造稲荷に祀るよう告げた。住民が掘り出してみると、石に日や月の図と庚申の文字が描かれていた。その石を祀ったところ、災いは起きなくなったという。

中を覗いてみたが、それらしき石は見当たらなかった。地元の方々は諏訪神社を「大社」、玉造稲荷を「小社」と呼んでいる。