前橋市堀越町の豊国山長善寺。

長善寺 (1)
長善寺 (2)
長善寺は大胡城主・大胡太郎藤原重俊が護法大雲大和尚を開山に請して、赤城南麓の白草地区寺沢窪に開創した(創建当時の山号は赤城山)。その後、弘治・永禄年間(1555~70年)に現在地へ移転している。移転時の住職は瑞誉和尚で後開山と呼ばれる(護法大雲大和は前開山と呼ばれる)。

豊国山の山号は豊臣秀頼から贈られている。後開山・瑞誉から3世にあたる南江道根は常時大坂城に出入りできる立場であったらしい。そして「たまたま」秀頼から自筆の豊国山の山号書を賜ったとされる。以降、山号を豊国山と改めている。

それにしても、一応天下人であった秀頼から「たまたま」もらった? どういうこと?

長善寺 (5)
長善寺 (4)
本堂の西にある墓地のほぼ中央部に、大胡太郎の墓と伝わる石塔がある。向かって左側のものは、奥方の墓といわれる。

大胡太郎の墓といわれる石塔は、上から宝珠に請花があり、次に屋蓋、塔身と続き、これらをしっかりとした基台で支えている。このうち屋蓋が小さいことから、異形多宝塔の形式と見られる。貞和3年(1347年)の銘がある。このことから、長善寺の開創は室町時代初期(南北朝期)と考えられる。

大胡氏は鎌倉時代から室町時代にかけて、赤城山南麓で勢力を持った一族である。藤原秀郷の子孫で、藤姓足利氏の庶流にあたる。足利成行の庶子・重俊が、大胡太郎を称したのに始まる。(藤姓足利氏とは、藤原秀郷の子孫を言い、源氏の足利氏とは関係ない。)

ちなみに、藤原秀郷は俵藤太の通称で知られ、三上山の大百足退治の伝説で有名である。