前橋市総社町の気雲山春光院元景寺。
ここには、なんと淀君(!)のお墓がある。



天正18年(1590年)総社藩の初代藩主・秋元長朝が、父親である秋元景朝の菩提を弔うため開創したのが始まりと伝えられている。


秋元景朝、正室・春のお墓。


これが淀君のものと伝わるお墓。墓石には「心窓院殿華月芳永大姉」とある。この「院殿」というのは、武家時代、将軍や大名の戒名に付けた尊号。うぅ~ん、相当地位の高い女性ということの証拠?
なんで、群馬に淀君のお墓があるかと言うと・・・。
秋元長朝が徳川側として大坂夏の陣に参陣した際、高貴な女性が助けを求めてきた。長朝はその女性が淀君と察し、密かに駕籠に乗せ中山道を通り、所領である上野国総社に連れて帰ったという。
元景寺には、淀君が当時乗って来た籠の扉(豊臣の家紋入)、淀君の着ていた打ち掛けが、今も残っている。 (これらの品々は、毎年秋の秋元祭で、年に1回公開される。)
それから後、この地では淀君は身分を隠すために、大橋の局「お艶」と呼ばれていた。
大坂夏の陣での、淀殿の最期を目撃した者がおらず、また遺体も確認されなかったため、逃亡・生存説などの俗説が生まれている。そのひとつが、群馬にあったということ。
次は、この「お艶」のその後に関係する所だよ。
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