前橋市総社町の蛇穴山(じゃけつざん)古墳。
一辺の長さが約40m、高さ約5mの方墳である。8世紀前半の造営と推定され、古墳としては最終末期に位置付けられる。
石室の規模は玄室長3m、幅2.6m、高さ1.8mである。羨道はなく、直接玄室が開いている。
玄室の主要部分には、加工された巨大な輝石安山岩の板石を用いており、天井、奥壁、左右の側壁が各々一枚岩というすごさ。
蛇穴山古墳は、上毛野田道(かみつけのたみち)の墓だという言い伝えがある。田道は崇神天皇の皇子・豊城入彦命より5代目の子孫で、仁徳天皇の時代に新羅征伐で名を上げた人物である。
その後、蝦夷征伐に派遣され奮闘するが戦死し、ここに埋葬されたといわれる。蝦夷が田道の墓をあばこうと総社一帯を襲撃した際、墓から大蛇が出現して毒気を吐き、蝦夷はことごとく倒されたという。そこから、蛇穴山の名がついたとされる。
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