前橋市総社町の秋元山江月院光巌寺。

光巌寺は慶長12年(1607年)総社藩初代藩主・秋元長朝が、徳蔵寺の亮應を開山として招き創建。

山号は姓の秋元から、院号は長朝の法名・江月院、寺名は長朝の母の法名・光巌院から名付けている。
それにしても、でっかい本堂だ。

秋元家歴代の菩提寺であり、秋元家が寛永10年(1633年)甲斐谷村へ移封となった後も、秋元家の歴代当主を弔っている。御廟所には入れないようだ。


珍しい形をしている楼門。何故か閉まっている。なので、長屋門から中へ入らせてもらった。

これは薬医門。江戸時代初期に城門だったものを移築したと推定されている。しかし門の多いお寺である。
秋元家の功績としては、天狗岩用水の開発事業がある。これは3年間の租税免除を条件に、領民を集めて灌漑事業を行ったもの。これにより新田開発が行われ、総社藩として豊かになった。この天狗岩用水は、今も灌漑用水として利用されている。
秋元家は、甲斐谷村へ移封後、川越、山形を経て、幕末に館林に移っている。秋元家は、館林でも慕われている。(「館林市尾曳町・旧秋元別邸」参照。)
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