桐生市梅田町の梅松山渭雲寺。

渭雲寺 (1)
渭雲寺は天正元年(1573年)渡瀬繁詮(わたらせしげあき)の開基。

渡瀬繁詮は由良(横瀬)成繁の次男である。繁詮は北条氏に仕えていたが、やがて中央に上って羽柴秀吉の家臣となる。その後、秀吉の命で豊臣秀次の家老となるが、文禄4年(1595年)の秀次事件に連座し切腹させられている。

渭雲寺創建の天正元年(1573年)は、父・成繁が桐生氏を滅ぼした年なので、成繁とともに太田から桐生に移ってきたと考えられる。(太田金山城はは長兄・国繁が城主となっている。)

渭雲寺 (2)
渭雲寺 (3)
本堂は昭和47年(1972年)の再建。 なんか、お寺の本堂っぽくない、洒落た感じである。

渭雲寺 (4)
六地蔵も本堂脇の壁にはめ込まれている感じ。

渭雲寺 (5)
渭雲寺 (6)
小さいながらも手入れの行き届いた庭園の池。

由良成繁の次男が秀吉に仕え、しかも遠江国横須賀3万石の大名だったなんて、全く知らなかった。秀次事件に連座したせいか、嫡男は後を継げず農民になったという。