桐生市菱町の無畏山普門寺。

普門寺 (1)
普門寺 (2)
天正3年(1575年)に由良成繁が、世良田(太田市)から移築して創建した。
(太田の普門寺は、「毛呂権蔵の墓・如意山普門寺」参照)

普門寺 (3)
普門寺 (4)
普門寺 (5)
天保14年(1843年)の「荒神の大火」によって、寺のほとんどの伽藍が焼失している。現在の伽藍は、昭和35年(1960年)に本堂、昭和52年(1977年)に普門閣建設、昭和62年(1987年)に観音堂が再建されている。

普門寺 (6)
観音堂へ繋がる石段。享保18年(1733年)、菱村名主・蓼沼平兵衛が先祖菩提の発願として観音堂に法華経千巻を奉納、その功徳として手造り石段が造られた(観音堂には十一面観音が安置されている)。

ここは菱町富士と言われる標高70mの台地で、「普門寺遺跡」と言われる縄文時代の遺跡で、過去に多数の土器・石器が出土しているという。また、毎年1月15日に開かれる「桐生だるま市」や、十一面観音例祭(毎月18日)も有名である。

由良成繁は鳳仙寺を創建したり、青蓮寺やこの普門寺を自分の領地である太田から移すなど、いろいろ行っている。「領主が変わったんだぞ!」ということを、桐生の領民に知ら示すことが目的だったのだと思う。