桐生市新里町新川の新光太平山妙珠院善昌寺。
ここには新田義貞の首塚と伝えられる五輪塔がある。
大同元年(806年)伝教大師・最澄が上野へ下向の際、弟子の宥海によって創建され大同寺と称したとされる。
短めの石段を上っていくと山門、本堂。義貞の首塚は本堂裏手にある。
越前で無念の最期を遂げた義貞の首級を桃井次郎が密かに持ち帰り、義貞執事の船田長門守善昌に託した。善昌は義貞の首級を手厚く葬り、供養のためこの寺で生涯を終えたといわれている。大同寺はそれ以降、善昌にちなみ善昌寺と称するようになったという。
上記は主に桐生市のHPから引用したが、実は船田善昌は建武3年(1336年)に京都での足利勢との戦闘で戦死している。これは太平記にも記載されている。新田義貞の戦死が建武5年(1338年)なので、義貞より早く死んでいるのだ。
なぁ~んだ、根拠のない伝説かと言うと終わっちゃうけどね。
太田市武蔵島町の花見塚公園内に、勾当内侍が京都から持ち帰ったという義貞の首塚があることは以前紹介した。(「勾当内侍の墓と新田義貞の首塚・花見塚公園」参照)
まあ、どっちも根拠は確かにないけど、こういう伝説が残るところが新田義貞の偉大さってとこかな。
コメント
コメント一覧 (2)
群馬県内には善昌寺、花見塚公園以外にもうひとつ「義貞の首を埋めた」といわれる場所があります。前橋市上泉町の新田塚古墳です。「覚明」が新田義貞の首級を京より持ち帰り埋めたといわれます。さらに「覚明」は篠塚重廣とも栗生顕友ともいわれています(ちょっと荒唐無稽ですが)。よかったら「新田義貞の首塚? -新田塚古墳-」(https://tigerdream-no.blog.jp/archives/8267795.html)もご覧ください。
亡くなっているんですね。知らなかった・・・
やはり胴体は越前、首は京都なんでしょうね?
「首を盗み出して埋めた」はまさに類型パターンですね。
因みに花見塚公園も見てきました。