高崎市吉井町長根の補陀落山常行院長福寺。


常行院は文保2年(1318年)の開創と伝わる。

良源(慈恵大師)を祀る大師堂。良源は一般的に元三大師(がんざんだいし)の名で知られる。平安時代の天台座種(天台宗の最高位)で、比叡山延暦寺の中興の祖とされる。

本堂から一段低いところに観音堂がある。観音堂は寛延2年(1749年)の再建との記録が残っている。最近では平成元年(1989年)に修復されている。
本尊は千手観音で「袂(たもと)観音」と呼ばれ、康暦2年(1380年)行基の作とされる。ただ行基は奈良時代の人なので、年代がまったく合わないのはご愛敬。また康暦は南北朝の北朝の年号で、南朝では天授6年となる。
袂観音と呼ばれるのは、ある長者の娘の逸話からのようだ。ある長者の娘が望まぬ結婚を強いられ家を出てしまい、慌てた父母は後を追い多胡郡長根村で娘に追いつき、逃げようとする娘の袂(和服の袖付けから下の袋のように垂れた部分)を引っ張ったが袂は千切れてしまった。千切れた袂が堂内に入ったので調べたが、堂内には千手観音像があるだけで、娘の姿は消えてしまった。それ以来、千手観音は袂観音と呼ばれるようになったという。
また、堂内には狩野法眼が奉納した馬の絵馬がある、この絵馬にも逸話が残っている。絵の中の馬が夜中に抜け出し田畑の麦などを食い荒らし、村人を困らせた。そこで法眼が草を描き添え、馬に鼻綱を付けて杭に止めたら、馬の野荒らしがなくなったという。

観音堂前のラカンマキ。目通り2.3m、根元周り2.5mで、樹齢は約600年とされる。

観音堂境内の板碑。紀年銘などは分からなかった。観音堂の近くには南北朝期の板碑が多数あったが、今は散逸してその数は減ってしまったという。
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