高崎市吉井町片山の応処斎渕臨の墓。

応処斎渕臨の墓
応処斎渕臨は文化2年(1805年)吉井町片山に生まれる。本名は横尾佐十郎義之。江戸に出て江戸御絵所・狩野探渕守真に学ぶ。第一高弟となり、探渕から一文字を受け「渕臨」と号す。

吉井に帰郷後は高崎藩の絵師となり、多くの門弟を育てる。山水・仏画・鶴亀・人物画を能くし、吉井近隣の寺社に現存している。本郷村(現吉井町本郷)の斎藤利安に学んだ書も優れ、「井池堂」と号している。

明治3年(1870年)66歳で没す、横尾家墓地に葬られる。墓碑は門弟らによって建てられている。