高崎市吉井町多比良の阿夫利神社。


阿夫利神社としては昭和61年(1986年)の創建。もともと当地には弘法大師(空海)が彫ったとされる不動明王(磨崖仏)があり、古くから「滝の不動」「谷不動」などと呼ばれ崇拝されてきた。
その後、神仏習合(本地垂迹)の考えから石尊権現が祀られ(年代不詳)、不動尊とともに多比良の谷地区の氏神として信仰されている。

鳥居横に意味ありげな大岩がある。表面に何か文字があるような、ないような。

楼門・社殿は昭和61年(1986年)の新築建立。谷地区に接している藤岡市下日野を中心としてゴルフ場が開発され(谷地区にもかかる)、その関係からゴルフ場開発会社が社殿などすべてを寄進している。この時に、石尊権現を祭神とする阿夫利神社となっている。
楼門は阿夫利神社になる前から存在しており、「石尊権現」と「滝の不動」の神域入口とされてきた。



拝殿前の灯籠は平成2年(1990年)の奉納。

社殿横に落差2mほどの小さな滝があり、「不動の滝」と呼ばれる。

不動の滝横の岩壁に不動明王が彫り込まれている。季節的に草木の関係で見えない(もしかしたら風化してしまっているのかも)。

不動尊と書かれた額のようなものと、不動明王の剣らしきものが見える。
実は不動明王だけでなく、いくつもの像が彫られているという。十三仏とされる。不動明王などの磨崖仏はこの地を訪れた弘法大師が一夜のうちに刻みつけ、最後の一体を彫りきらぬうちに夜が明けてしまったと言い伝えられている。


阿夫利神社と沢の反対側に境内社(?)の古峯社と稲荷社がある。稲荷社内には石仏が鎮座している。

双体道祖神。


境内社などの奥に上る石段があり、石尊権現が祀られている。
不動明王などの磨崖仏は室町期の作と推定されているが、多比良城主・多比良友定が戦勝祈願を行い、それにより命が助かったとの言い伝えも残されている。弘法大師伝説はどこからきたのだろう?
昭和40年(1965年)ころまでは、例祭には獅子舞が奉納され、また露店も並ぶほど賑やかだったという。
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