沼田市町田町の沼田大明神。
ここには沼田平八郎景義の墓がある。


沼田平八郎景義は沼田氏12代・万鬼斎顕泰の側室の子で、摩利支天の再来といわれた勇将。
永禄12年(1569年)万鬼斎顕泰は、愛妾・ゆのみ(景義の母)とその兄・金子泰清に唆され、嫡男・朝憲(沼田城主)を謀殺してしまう。ゆのみが自分の子ども(景義)を城主にしたかったから。結局、沼田城兵に攻められ会津に逃れることになる。
景義は天正9年(1581年)挙兵し、沼田城攻略を目指す。当時沼田城は真田昌幸が治めており、伯父の金子泰清はうまく立ち回り、真田方にいた。
景義は真田昌幸の謀計に乗った泰清に欺かれ、城内にて謀殺された。景義42歳、これで沼田氏は亡びてしまった。

沼田城址(沼田公園)に残る平八石。景義の首級を乗せたといわれる石。


景義の死を悼み、その遺骸を僧行芝が引き取って、小沢城本丸跡に葬り沼田大明神として祀った。お堂内には、景義と思われる像があった。


お堂裏にある景義の墓。
側面には「前沼田城主 沼田平八郎平景義公 天正九辛巳三月十四日」の銘が読み取れる。景義が沼田城主だったかは?だけどね。
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