邑楽郡大泉町坂田の蚕福山(こふくさん)神宮。
前回の坂田長良神社の境内社になる。(「大泉町坂田・長良神社」参照)

蚕福山神宮 (1)
蚕福山神宮 (2)
蚕福山神宮 (3)
蚕福山神宮の由緒は不詳。もとは東京三洋電機(現パナソニック)の構内に祀られていたが、中島飛行機製作所建設の際に現在地に遷している。とすると、大正8年(1919年)ころのことかな。

蚕福山神宮 (4)
蚕福山神宮 (5)
蚕福山神宮 (6)
本殿はこけら葺き、朱塗りで獅子頭や花鳥の彫刻が施されている。本殿は京都から運んだとの説がある。また、この際の受取人が平将門との伝説もある。

蚕福山神宮 (7)
社殿裏に平将門の墓(供養塔)がある。承平2年(932年)相馬小治郎とある。これは明治初年に将門の末裔とされる相馬氏が造立したもの。この供養塔も蚕福山神宮とともに遷されている。

将門が討死したのは天慶3年(940年)だが、承平2年は何だろう? 先に書いた蚕福山神宮の本殿を運ばせたのが将門で、それが承平2年なのかな。将門供養塔は遷座前の蚕福山神宮境内に造立されていることから、そんな想像をしてみた。

また相馬氏と将門の繋がりに関しては、将門の直系(将門の子・将国の子孫)とする説、将門の養子になった(とされる)平良文の末裔である千葉氏の分家とする説など、いくつかある。