高崎市新後閑町の琴平神社。
通称「多中のこんぴらさま」と呼ばれている。

琴平神社 (1)
元々お稲荷様が祀られていたこの地に、高崎藩士・寺田宗有が一昼夜で讃岐から分霊を勧請したと伝えられる。宗有は文政8年(1825年)に没しているので、文化年間(1804年~1817年)のことと考えられる。「一昼夜で分霊を勧請した」というのは、一昼夜で讃岐まで行ってきたということ。

この門は面白い門である。何かと言うと普通に右大臣(矢大臣)・左大臣がいるのだが、反対側には仁王像が鎮座している。すぐ隣には前回の荘厳寺があるので、お寺側を見ると仁王門になっている。

神社には随身門、お寺には仁王門というのが一般的。神社に仁王がいたら、神仏混交の名残と考えていいと思う。ただ、このように随身門と仁王門を兼ねているのは初めて見た。

琴平神社 (2)
琴平神社 (3)
琴平神社 (4)
社殿下の石段前には烏天狗がいた。狛犬の代わりかなとも思ったが、拝殿前に狛犬もいた。

琴平神社 (5)
琴平神社 (6)
琴平神社 (7)
拝殿側面に天狗の面が奉納されていた。

琴平神社 (8)
琴平神社 (9)
石段脇に洞窟があり(洞窟と言っても人工感丸出しだが)、中には「和田稲荷大明神」名の提灯が。小さな稲荷神社? 和田城を築いた和田氏一族の屋敷がこの辺にあったといわれているので、もともとは屋敷神様のお稲荷さんかもしれない。

ちなみに、新後閑という地名の由来は、和田氏家臣・新後閑左京亮が住んでいたから。