高崎市若松町の高崎山龍廣寺、その2。
前回、高崎の地名の由来と村上鬼城のお墓があることを紹介した。
(「高崎市若松町・高崎山龍廣寺」参照)
ここには、元ロシア人兵士のお墓がある。

元ロシア人兵士の墓 (1)
元ロシア人兵士の墓 (4)
元ロシア人兵士の墓 (5)
何で高崎に?

元ロシア人兵士の墓 (3)
明治37年(1905年)の日露戦争の時、ロシア軍の捕虜10名が龍廣寺に抑留されていて、そのうち傷病兵であった3名が亡くなりここにあった陸軍墓地に葬られた。

地面に伏せられた西洋式の平板な3基の墓碑には、上部にロシア語で銘文が記され、中央に大きな十字架が彫られ、その左右に日本語で彼らの所属部隊・階級・年齢・没年が刻まれている。

164高地
164高地にある記念碑。

日露戦争では高崎第15連隊が旅順港攻撃に参戦し、3日間に及ぶ「164高地」の激戦で568人もの犠牲者を出してついに陥落させた。「164高地」はその功績から「高崎山」と名付けられたという。

日露戦争と言えば「203高地」の激戦が有名で、映画やドラマにもなっている。今回いろいろ調べて高崎第15連隊や「164高地」も初めて知った。