高崎市若松町の高崎山龍廣寺。



ここが高崎山というのには意味があって、高崎の地名に関係している。
慶長3年(1598年)、井伊直政が箕輪城から当地(当時は和田)に移った際、「松ヶ崎」という地名にしようとしたが、箕輪龍門寺住職だった白庵が、諸木には栄枯あり、物には盛衰があるのは、珍しいことではない。
ならば、成功高大の意味を採って「高崎」と名付けた方がよいのでは?ということで、高崎になったといわれている。まあ、木(松)は枯れるので、縁起が悪いということ。
のちに、白庵がこの龍廣寺に転住した際、山号に高崎を与えたという。



ここには俳人・村上鬼城のお墓がある。
村上鬼城(本名・荘太郎)は、初め軍人を志すが、耳疾のため断念。父の跡を継いで高崎区裁判所構内代書人となる。正岡子規に教えを請いやがて「ホトトギス」同人となり、「境涯の俳人」と呼ばれる。

広い墓所なので、ちょっと分かりずらいが、地図がありなんとかたどり着けた。
地図に、元ロシア人兵士の墓というのを発見!これは次回ね。
コメント
コメント一覧 (2)
今年も宜しくお願いします。
鷹崎という話は知りませんでした。勉強になります。
コメントありがとうございました。
あけましておめでとうございます
今年も宜しくお願いいたします。
もう一段階聞いたことありませんか?
「松ヶ崎」を諦めた後、
では
「鷹崎」にしようと発案
しかし、同様に、
鷹はいずれ死ぬ
松は枯れるし、鷹は死ぬ
それじゃ「高崎」にしよう
という話で伝わっています
byおじさん