高崎市倉賀野町の倉賀野河岸跡。

倉賀野河岸跡 (1)
利根川支流で烏川最上流部の倉賀野河岸は、永禄4年(1561年)に倉賀野宿の住人10名が船による運搬営業を始めたとされる。最盛期には76の業者があった。中山道と日光例幣使街道の分岐点に位置したことから、江戸時代には上信越地方と江戸との水陸交通の中継地として、利根川水系の河岸の中では最大の規模を誇っていた。

倉賀野から江戸へは3日、江戸から倉賀野へは10日の行程だったという。倉賀野からは米麦・たばこ・織物・木材など、江戸からは干魚・油・茶・塩・砂糖などが運ばれた。

明治17年(1884年)高崎ー上野間野鉄道開通に伴い、倉賀野河岸はその役割を終えることになる。

ちなみに、徳川埋蔵金伝説で有名な小栗上野介忠順が360万両(現在の価値で数十兆円)という大金を領地の倉渕村に運び込んだのは、この倉賀野河岸からといわれる。

倉賀野河岸跡 (3)
倉賀野河岸跡 (2)
倉賀野河岸跡 (4)
現在は河岸広場として、ちょっとした公園になっている。まあ、公園と言ってもベンチが置いてあるだけだけどね。天気が良い日の日向ぼっこにはいいかも。

河岸そのものは、もう少し上流側にあったらしい。そこには元あった大杉神社跡の碑があり、その社殿は榛東村新井の八幡宮に売却・移築されている。大杉神社は常陸国から勧請したもので、舟運交通の守護神として船運業に携わる多くの人々に信仰されていた。