高崎市吉井町神保の天祐山仁叟寺。
前回(「高崎市吉井町神保・天祐山仁叟寺」)に引き続き仁叟寺の2回目。
千手観音像(中央)。行基の作との伝承があり、羊太夫の守本尊と伝わる。実際は室町時代の作とされ、廃寺となった八束山観音寺の本尊。六観音が周りに安置されている。平成29年(2017年)に修復が完了している。
不思議なもので、なまじ造立時のお姿(具体的には金ピカ)になると、逆にありがたみが薄くなってしまうと感じるのはオレだけかな? (もちろん仏像としての歴史的価値の問題とは別)。
八束山観音寺は仁叟寺8世・天威大佑の開山。天威大佑の入寂が寛永13年(1636年)なので、江戸初期の創建となる。明治初年に火災に遇い、その後再建を計画したが果たせず廃寺となっている。
同じく観音寺から移された石仏や石祠。石祠内には石仏が納められている。
白山妙理大権現。寺域を守護する龍神。曹洞宗開祖・道元が宋から帰国する際、乗っていた船を守ったとされる。また帰国前夜にこの権現が手伝い、「碧厳録」を一夜のうちに書き写したといわれている。
古照堂。昭和51年(1976年)の建立。多胡碑が納められている。多胡碑と言っても本物ではないけどレプリカでもない。吉井町塩の向井家に伝わっていたもので、仁叟寺に寄贈されている。「仁叟寺多胡碑」と呼ばれている。
仁叟寺多胡碑は、文字の書体・大小などが世界遺産・多胡碑と寸分違わないもので、両者の拓本を比べても判定に苦しむほどだという。ただ、碑身は薄く板碑のように見える。
製作の経緯などは不明だが、向井家にはこの碑は多胡碑の裏碑(予備)であるので、同材質・同刻で造られていると伝わっている。
地蔵菩薩像。元禄13年(1700年)の造立。
天宮の井戸。開創以来、寺の水源であった井戸。永きに渡り枯れることなく水脈を保っている。昭和40年代まで使用されていた。
銅製の大釜。戦国時代のものと伝えられる。
願掛け穴不動。昔から竹林の中に洞穴があり、寺の東を護っていた。この洞穴には不動明王が祀られており、お百度参りを行うと大願が成就すると伝えられている。
不動滝。もちろん人工の滝だが、不動明王像などが置かれている。穴不動の近くにあるので、それに関連付けたものかな。訪問日は水が流れてなかった。
聖観音像。令和元年(2019年)の造立。
涅槃釈迦像。中国四川省産の漢白玉大理石製。平成9年(1997年)の造立。自分の身体の悪い場所と同じ場所をさすれば、撫で仏としての功徳が授かれるという。
慈母観音像。平成16年(2004年)の造立。
ペット供養塔。平成6年(1994年)の建立。
村上鬼城の句碑。平成16年(2004年)の建碑。
2回目も長くなったので、以下3回目につづく。
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