高崎市吉井町吉井の菩提山法林寺。
法林寺は天正8年(1580年)の草創、開院は文禄2年(1593年)で開山は住蓮社安誉上人。
六地蔵と願就地蔵尊。願就地蔵って、名前がいいね。
通称「法れん寺」横丁というところが参道で、本堂は北向きである。本尊の阿弥陀如来像は鋳造で、鎌倉時代の作と推定される。総高42.8cmで、重さが10kg以上ある。
蔵のような建物の中を見たら仏像が多数並んでいた。本堂には「西国、坂東、秩父の併せて百体の観世音菩薩像が掲げられている」とのことなので、それらを移したのではないかな。
鐘楼堂。宝永7年(1694年)鋳造の梵鐘があり大正時代には吉井町の時報に使用されていたが、先の大戦時に供出。
墓地内にあるカヤの木。樹高約38m、目通り周4.2m、根元周り7m。枝張りは東西11m、南北13mなっている。本幹上部は剪定されているようだが、落雷でもあったのか(分からないけど)。
吉井藩の代官を務めた橳島(ぬでじま)家の墓がある。初代・丹斎高堅、2代・丹太夫高茂、3代・丹治高行は、藩政と領内の民政に尽力している。
吉井藩は宝永6年(1709年)松平信清によって再々立藩以降、藩主は代々江戸定府のため、代官は地元でも最高責任者。3代・丹治高行の時に明治維新を迎え、高行は岩鼻県監察を務めている。
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