高崎市吉井町岩崎の岩崎山密蔵院覚性寺。

密蔵院 (1)
密蔵院 (2)
密蔵院は僧・良尊の開創と伝わる。良尊の入寂が永和2年/天授2年(1376年)とされるので、南北朝期の創建となる。江戸時代末、駒形山衆福寺を合併している。衆福寺は当地の郷氏・岩崎氏の祈願所であったとされる。

密蔵院 (3)
山門前の六地蔵。

密蔵院 (4)
本堂には恵心僧都作と伝わる阿弥陀如来を祀る。この阿弥陀像は合併した衆福寺の本尊であったようだ。

密蔵院 (5)
密蔵院 (6)
境内の聖観音像と地蔵菩薩像。お地蔵さまは昭和58年(1983年)の奉納。

密蔵院 (7)
密蔵院 (8)
密蔵院 (9)
境内のお堂。扁額等ないので詳細不明だが、中を見ると愛染明王らしき像が見えた。堂内は少し乱雑だ。

密蔵院 (10)
堂前には新旧取り混ぜた石仏が並んでいる。

密蔵院には岩崎左衛門入道教阿の位牌が残されている。元々は衆福寺にあったが、合併の際に密蔵院に移されている。岩崎左衛門は密蔵院から数百m離れた所にあった岩崎城の城主とされる。

弁天池 (1)
池(弁天池)の向こう側が岩崎城址。単郭式の山城で、本丸は長径30mほど。弁天池は岩崎城の南西麓にある長さ200m、幅50mのため池。

弁天池 (2)
弁天池の中ほどに小島があり、そこに岩崎左衛門の墓とされる宝篋印塔(集成)があるという。小島に渡る手段もなく、草に覆われ宝篋印塔などもまったく見えない。以前は古碑もあり「宝徳元年(1449年)12月14日 岩崎左衛門入道教阿」と刻されていたという。これは密蔵院の位牌と同一文。

弁天池は江戸時代に山麓を流れる足沢の流れを変え、灌漑用水池として作られている。それにより、岩崎左衛門の墓が池の小島になったという。