北群馬郡吉岡町大久保の佐渡奉行街道道しるべ。

佐渡奉行街道の道しるべ 吉岡
大久保宿のはずれ、佐渡奉行街道と伊香保街道との分かれ目に建つ自然石の道しるべ。
「右ゑちご志ぶ川」「左いかほミづさハ」と刻まれている。
裏には「寛政十二年庚申」と刻まれている。寛永12年は1800年である。

佐渡奉行街道は、中山道本庄宿から分れて玉村・前橋を通り、渋川で三国街道と合流する街道で、高崎からの三国街道ができるまでの古道。佐渡金山を管轄する佐渡奉行が、佐渡・相川に赴任する際に利用したので、佐渡奉行街道と呼ばれた。

佐渡奉行街道は、佐渡金山の労役につく無宿人の護送路でもあった。「佐渡送り」と呼ばれ、この世の地獄といわれるほどの過酷さだったらしい。