伊勢崎市国定町の金城山養寿寺。
新国劇「赤城の山も今宵限り」のセリフで有名な、国定忠治こと長岡忠次郎のお墓がある。
養寿寺は承暦年間(1077~81年)僧・円宋が相応寺として創建。文治3年(1187年)奥州に逃れる源義経が立ち寄ったとの伝承がある。その際、お茶を勧めたことから茶呉山相応寺といわれた。
現在地に移転した際に、境内が太田・金山と相対しているとのことから金城山常栄院養寿寺と改めている。
上の写真がお墓で、下の写真は隣にある碑。
忠治の博才にあやかり墓石の一部を削って持ち帰る人が多く、墓石はすっかり角がなくなっている。ギャンブル必勝のお守りにするということ。この墓石は2代目だという。
養寿寺には忠治遺品館が併設されており、忠治が愛用した合羽や駒札等、日用品が展示されているらしい。なぜ「らしい」かと言うと、行った日は閉まっていて見学できなかったから。ちなみに、土曜の午後。ちょっと残念だったなあ~。よく調べてから行けばよかった。
忠治は17歳で殺傷事件を起こし、任侠の世界に入ったといわれている。でも、天保の大飢饉の際には貧民救済に乗り出すなど面倒見も良かった。最後は関所破りの罪で大戸の関所(現東吾妻町)で磔の刑に。
忠治は新国劇を始め、映画や講談の題材になるほど、逆に人々に強烈な印象を残したってこと。ただのチンピラならこんなことにはならない。それを考えると良い意味でも悪い意味でも、ただ者ではなかったということ。
関連
「東吾妻町大戸・大戸関所跡」
「東吾妻町大戸・国定忠治処刑場跡」
「東吾妻町萩生・国定忠治とまどいの松」
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