邑楽郡千代田町上五箇の医王山長性寺。

長性寺 (1)
長性寺は寛永15年(1639年)僧・雄等が上中森に開創。

長性寺 (2)
長性寺 (3)
本堂は嘉永4年(1851年)に火災により焼失。再建後の明治43年(1910年)利根川の氾濫で跡形もなく流出。翌44年に字石頭に仮本堂を建てたが荒廃。昭和48年(1973年)字駒形(現在地)に本堂を建立している。
(明治43年の利根川氾濫に関しては「千代田町萱野・瀧澤山洞源寺」参照)

長性寺 (4)
百番供養塔。西国33ヶ所、板東33ヶ所、秩父34ヶ所の100霊場の巡拝達成記念。お年寄りや身体の弱い方などが、この供養塔をお参りすることで100ヶ所巡拝したことと同じご利益が得られるとされる。

長性寺 (5)
本堂前の仏足石。長指相で足下二輪相になっている。

長性寺 (6)
本堂から数百m離れた所にある長性寺北の堂。

長性寺 (7)
3世・紫峰庵夫雪の墓。
初代・夫雪の子。文学を好み、江戸に出て亀田綾瀬に漢学を学ぶ。帰郷後は村内子弟のための塾を開いている。書道にも秀でていたという。慶応3年(1867年)没。享年60歳。

同じく上五箇の愛宕神社に3世を顕彰する「夫雪翁誌碑」がある。
(「亀田三先生の筆跡 -上五箇愛宕神社-」参照)

長性寺 (8)
4世・紫峰庵夫雪の墓。
3世・夫雪の子。幼くして文学を嗜み、父祖の意志を継ぎ門弟を育てる。明治9年(1876年)小学校教員となり、同21年(1888年)夫雪の名跡を継ぐ。大正11年(1922年)没。享年80歳。

ちなみに、初代のお墓は上中森の授楽寺にある(2世は初代の弟子で血縁関係はない)。
(「初代・紫峰庵夫雪の墓 -授楽寺-」参照)