太田市新田上田中町の田中山長慶寺。
ここには、長慶天皇の陵墓と伝わる宝篋印塔がある。


長慶寺は新田義重の庶長子・里見義俊の次男・田中五郎義清を祖とする田中氏の館跡に、延応元年(1239年)に建立された。


屋根付き供養塔の右の宝篋印塔が、第98代で南朝第3代天皇である長慶天皇の陵墓といわれる。何でこんなところに・・・。
長慶天皇は後亀山天皇に譲位後も南朝への協力を求めて、各地を潜幸したという伝承があり、全国にその陵墓とされる場所が点在する。そのひとつが、この長慶寺の御陵ということ。
ちなみに、宮内庁認定は京都嵐山にある嵯峨東陵である。

屋根付き供養塔の左の宝篋印塔は、田中氏の祖・義清の墓である。長慶天皇の陵墓より大きいぞ。少し恐れ多いんじゃないの。

実は田中義清は、安土桃山時代の茶人・千利休の祖先だといわれている。千利休の本名は田中与四郎という。そのため、「茶聖千利休居士の祖 田中五郎義清之館跡也」という立派な碑が建っている。
長慶天皇の陵墓も、千利休が田中氏の末裔だということも、どちらも具体的な確証は、もちろんない。
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