太田市藪塚町の牛之塔。

牛之塔 (3)
鎌倉時代初期の宝篋印塔で、牛之塔の名で呼ばれている。

牛之塔 (1)
京都から阿弥陀如来像を、崇禅寺(桐生市)へ運ぶ途中に、牛が死んだので、牛の供養のために建てた塔。

基礎に飾りがなく簡素であること、笠部が6段で隅飾(馬耳状突起)がほぼ垂直に近いこと、規模が大きく安定感があること等、鎌倉初期の特徴を示している。

牛之塔 (2)
京都からわざわざ阿弥陀如来を運んできたのは、智明という人物である。元々は園田成家という武士だったが、京都に巡回警護に上がった際、法然上人に接し、仏の魅力にひかれ弟子となり、智明と名乗った。

修行を終え故郷に帰る際、法然から阿弥陀如来像を与えられ、背負って岐路についたが、長い道のりのため牛に乗せて運んで来たということ。

苦労をかけた牛を供養するなんて、さすが僧侶って感じだし、その供養塔が現在まで残っているところも、こりゃまたすごい。