太田市大原町の岡登霊神社(おかのぼりりょうじんじゃ)。
前回の神明宮の境内社である。
地区村民が岡登景能(おかのぼりかげよし)の恩に報いるため、宝暦2年(1752年)神明宮境内に社祠を建立し「岡登霊社」とした。
景能は寛文元年(1661年)に代官になり、さらに足尾銅山奉行もつとめ、産出銅を運搬する銅山街道を整備し、中心の宿として大原宿を設置。それと並行して渡良瀬川から岡登用水を開削して宿用水とし、笠懸野の開発を行った。
その善政は住民から慕われていたが、余りの名声にこれを妬む者の讒言により貞享4年(1687年)自刃している(渡良瀬川の水争いが起因らしい)。景能の功績を記した(と思われる)大きな説明板があったのだが、字が多すぎてよく読めず。
しかし、自分が勧進した神明宮の境内に、自分が神として祀られることになるとは、考えてもいなかったろうね。
*岡登景能の表記に関しては、下記参照。
「太田市大原町・神明宮」
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