太田市大舘町の東楊寺。

東楊寺 (1)
東楊寺 (2)
豊臣秀吉により、津軽3郡4万5千石の所領を安堵された津軽藩初代藩主・津軽為信は、関ケ原の合戦では徳川家康方に味方し大垣城を攻撃した。その功により家康より、上野国の6村2千石を加増され、その半分近くは尾島の地域であった。

東楊寺 (3)
大舘村(現太田市大舘町)には、津軽藩の代官・足立氏が居住し、その墓は現在も東楊寺境内にある。

旧大舘村には津軽藩の陣屋が置かれ、津軽藩3代藩主・津軽信義は、この陣屋で生まれている。江戸と近い距離にあったため、参勤交代など江戸出府の際には、藩主も東楊寺に滞在したらしい。

ねぷた (1)
ねぷた (2)
そんな縁から、旧尾島町は弘前市(津軽藩)と交流が盛んで、昭和61年(1986年)から、尾島祭にねぷたが参陣・運行されている。

実は、群馬に津軽藩の飛び地があったって話は、青森の知人から教えてもらった。最近会ってないけど、元気にしてるかなぁ~。

追記
再訪記はこちら「石田三成の娘 辰姫の墓・東楊寺 その2