みどり市笠懸町西鹿田の久永山長昌寺。

長昌寺は天元元年(978年)慶範和尚の開山と伝わる。その後、寛永2年(1625年)に忠慶和尚の開山、当地領主の旗本・久永源兵衛重勝の開基で中興されている。創建から中興までの期間が長く、またその間の資料もなく、創建に関しては不明な点が多い。


本堂は天保11年(1841年)に焼失、同15年(1845年)の再建。昭和62年(1987年)に大改修が行われている。
天保の火災により、当時の住職は7日間の「遠慮」という処罰を受けたとの記録が残っている。「遠慮」とは江戸時代の軽微な刑罰。現在の「謹慎」かな。


境内の大日堂。大日如来を祀る。由緒は不詳だが、境外にあったものを明治期以降に合併、境内に移している。
長昌寺の墓地には2基の古墳がある(長昌寺A号墳・B号墳)。

A号分は径17m、高さ2.5mの円墳で、7世紀前半の築造と推定される。墳丘を囲むように石仏や庚申塔が多数並べられている(もちろん後世の手による)。

墳丘上には五輪塔、層塔がある。

B号分は径20m、高さ2mの円墳で、6世紀後半の築造と推定される。

墳丘は削平されており、歴代住職の墓になっている。
地方を領有している旗本って、領地からむしり取るイメージしかなかったが、久永氏は長昌寺を開基しただけでなく、脇差し一振りを寄進している。その脇差しはみどり市の重文になっている。
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