太田市世良田町の義平山清泉寺。
なんと、源義平のお墓!と伝えられる墓石がある。

清泉寺 (1)
清泉寺 (7)
清泉寺
源義平の菩提を弔うため、妻である新田義重の養娘・妙満尼が建立したといわれている。

入り口前の目立つ看板があったので見つけられたが、寺とは分かりづらい。本堂も古民家のようだし。

義平の墓
墓石表面には、かすかに「悪源太義平公御廟」の文字が。(知らなければ、多分読めない。)

「悪源太」義平は源義朝の長男で、源頼朝や義経の兄にあたる。義平は久寿2年(1155年)の大蔵合戦で武名を轟かせ、悪源太と呼ばれるようになった。この「悪」は「強い」「猛々しい」という意味である。

義平は平治の乱(1159年)に敗れたのちに捕えられ、六条河原で斬首されている。時にわずか20歳。

妙満尼は祥寿姫といい、義平の正室になった。なんで義平のお墓がここにあるかというと、祥寿姫が六条河原に晒されていた首を、密かに持ち帰ったからとか。まあ、ありえないけどね。

清泉寺 (5)
義平のお墓の手前には、徳川吉宗の次男・田安宗武が、娘夫婦の幸福を願って宝歴5年(1755年)に建てたという、宝篋印塔がある。ここにある経緯は知らない。

でも、義平のお墓より断然目立っており、最初はこちらが義平のお墓かと思った。