太田市由良町の正英山威光寺。
新田義貞の次男・義興のお墓と伝えられる宝篋印塔がある。

威光寺 (1)
威光寺 (2)
威光寺 (3)
新田義貞の次男・義興の開基で、元徳2年(1330年)開山。かつては医光寺といったらしい。

応永年間(1394年~1428年)、横瀬氏が伽藍を修繕し、義興を追悼した。その時に、義興の法号にちなんで、正英山威光寺となった。以後、新田氏の祈願寺として繁栄した。

新田義興の墓
義興の墓といわれる宝篋印塔は、本堂の裏手にある。まあ、小っちゃいのはしょうがないにしても、境内やお墓に案内板も解説板もなし。オレも最初はどこにあるんだか分かんなかった。

義興は、1337年に北畠顕家に呼応し旗揚げ、吉野で後醍醐天皇に謁見し元服。父(義貞)戦死後は、越後に潜伏していたといわれる。その後、鎌倉を一時奪還する等の戦果をあげたが、江戸多摩川の矢口渡で謀殺される。1358年のことである。享年28歳。

謀殺された義興の怨霊を鎮めようと、祠を建て新田大明神として祀った。これが、東京都大田区矢口にある新田神社である。ここは、破魔矢の発祥の地としても有名。破魔矢も源氏に関係あるよ。

義興謀殺から新田大明神建立の詳細や経緯は、新田神社HPのアニメで詳しく知ることができる。1度覗いてみて。

 新田神社HP