太田市亀岡町の新田義貞・駒つなぎの松。

新田義貞 駒つなぎの松 (1)
新田義貞 駒つなぎの松 (2)
生品神社で旗揚げた義貞は、鎌倉を目指して進軍を開始した。とは言っても、このときわずか150騎。

進軍経路は諸説あるようだが、生品神社から南進し、国境を流れる利根川を渡る前にこの地で休したという。そのとき愛馬をつないだのが、この松といわれている。

西に向かい、前橋あたりで利根川を渡り、高崎経由で鎌倉に向かったとの説もある。今も残っている鎌倉街道を見ると、こっちの方が正しいような気も・・・。

松じたいは立派であるが、樹齢1000年には見えないので、何度か植え替えられているようだ。

こういう伝説じたいが、この地の人々が新田義貞を慕っていたことの表れかな。

そう言えば、松につないだ愛馬にも伝説がある。義貞が討ち死にする戦に出陣する際、義貞が乗れないほど大きく暴れ、主人の死を予感していたという逸話が太平記に出てくる。

ちなみに、埼玉県狭山市の八幡神社にも、義貞が愛馬をつないだという松がある。