高崎市十文字町の車持神社。
車持神社の創建は不詳だが、当地を治めていた車持氏の館跡に祠を建て、車持氏に榛名大神を合わせ祀ったものと伝わる。上野国神名帳記載の車持若御子明神に比定される古社である。
車持氏は豊城入彦命の8世孫・射狭君が、雄略天皇のとき乗輿を献上したことから車持姓を賜ったとされる。
社殿は天正8年(1580年)の建立との記録が残る。現在の社殿の建立時期は不明。
御嶽山など、石碑や石祠が並ぶ。
社殿左に鳥居があり、下(沢が流れている)に降りられる石段がある。
下には不動明王像や「泰賢行者」「普寛行者」などと刻まれた石碑がある。榛名山や当地で修行した修験者が祀ったものかな。
車持氏は豊城入彦命の後裔「東国六腹朝臣」(飛鳥時代)のひとつの氏族。車持氏が統治していたので車郷(くるまのさと)や車評(くるまのこおり)と呼ばれるようになり、後の群馬県名の元になったともいわれる。また当地は旧久留馬村(旧榛名町に編入後、高崎市に編入)で、これも車持氏から来ている。
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