太田市徳川町の東照宮。

徳川東照宮 (2)
徳川東照宮 (4)
徳川東照宮は寛永21年(1644年)徳川郷主だった生田義長が邸内に建立した。

徳川東照宮 (3)
郷主の私神社なので、一般の人は限られた時しか参拝できなかった。明治5年(1871年)に東照宮の社地が徳川村に寄進されている。

徳川東照宮
もともとここは徳川氏の祖・義季の館跡である。義季は新田氏の祖・義重の子で、新田郡の世良田郷、得川郷(徳川郷)を譲られた。

義季から8代目の親氏が南朝に加担し徳川郷を追われた時、生田隼人が後任となった。その後この生田氏が家康に新田氏家系図を差し出したことで、系図の捏造が行われ晴れて家康は源氏の家系に名を連ねることになった。この功により、正田氏(生田氏から改姓)は德川氏館を正式に所有できることになった。

徳川家康はそれまでは藤原姓だと言っていたのに、新田氏(徳川氏)の家系図を手に入れたら源姓だと言い出した。これにより慶長8年(1603年)に征夷大将軍になり、慣習により江戸幕府を開けたってこと。