太田市金山町の大田山金龍寺。
寺名は、新田義貞の法名「金龍寺殿眞山良悟大禅定門」にちなんだもの。
応永24年(1417年)に横瀬貞氏が、その祖とした新田義貞を追悼するために創建したと言われてる。横瀬氏は、後に下克上により岩松氏を退け、実質的な金山城の城主となった。
ちなみに横瀬貞氏は、新田義貞三男・義宗の三男で、横瀬氏に婿入りしたという。横瀬氏が新田氏子孫を「自称」するのは、戦国時代以降である。
新田義貞公墓入口とあるが、あるのは義貞の供養塔。寛永14年(1637年)の義貞300回忌法要に際し造立されたもの。
義貞供養塔前には、歴代の金山城主とその一族を弔う五輪塔がある。金山城の実質城主であった横瀬氏(後の由良氏)一族の、菩提寺として興隆した。
横瀬氏(由良氏)は後に茨城牛久に移封され、金龍寺も僧とともに同地に移った。現在の金龍寺は、後に館林城主となった榊原氏によって、再興されたもの。
新田氏、岩松氏、横瀬氏の関係って、よく分かんないんだよね。どこかで機会があったら、勉強がてら纏めてみるよ。
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