太田市(旧市)のほぼ中央にそびえる標高235.9mの金山に築かれた金山城址。

金山城址
金山城址 (2)
応仁3年(1469年)新田一族の岩松家純によって築城される。新田義貞が鎌倉時代末に、砦として整備したとの説もある(裏付けデータなし)。戦国城郭史の定説をくつがえした、石垣・石敷きの城といわれている。

金山城址 (3)
大手虎口道。復元みたいだけど、城って雰囲気!

金山城址 (4)
日ノ池。

金山城址 (5)
月ノ池。

山城のため水の確保が重要なのだ。日ノ池の近くにも、大きな(深そうな)井戸があった。水の準備は万全といったところか。

金山城址7
御台所曲輪にある大ケヤキは推定樹齢800年。このケヤキの左の石段を登って行くと本丸址。現在そこには新田義貞を祀る新田神社がある。(新田神社は次回紹介。)

さすがに金山は太田のシンボルだけあって、よく整備されている。南曲輪からの眺めも非常にいい。天気が良ければ富士山も見えるとか。

ただ、この南曲輪に中島知久平の胸像が建ってる。中島知久平じたいは太田の偉人であるが、なぜここにある必要が・・・。

オレ、こういう場違いな銅像・胸像の類、嫌いなんだよね。