高崎市井出町の意玉山大円寺。

大円寺 (1)
大円寺は正慶年間(1332~33年)僧・慶運が現在の元井出に創建。その後、元和から寛永2年(1615~25年)の間に井出集落の移動が行われ現在地の移転している。その後、宝暦9年(1759年)に僧・寛良が中興している。

大円寺 (2)
大円寺 (3)
大円寺 (4)
本堂は明和年間(1764~72年)に井堤神社境内に建立。井堤神社は大円寺のすぐ隣にある。(「高崎市井出町・井堤神社」参照)

中興時の宝暦9年の建立との記録もあるようだ。昭和59年(1984年)に大改修が行われている。明治初年の神仏分離で、明確に境内が分離されたのだと思う。本尊の地蔵菩薩像は弘法大師の作と伝わる。

大円寺 (5)
本堂に掲げられている「長野業盛奮闘の図」。永禄9年(1566年)の箕輪城落城時自刃した長野業盛の遺骸は、移転前の大円寺に葬られたとされる。移転時にお墓は元井出に残されている。(「伝・長野業盛の墓」参照)

箕輪城内で自刃した業盛の遺骸をなぜ井出の僧がと思うが、業盛が井出で自刃したとの伝説もあるので。なんとなく関連性がある? と考えてしまう。
(「高崎市保渡田町・落合観音堂」参照)

大円寺 (6)
大円寺 (7)
境内の阿弥陀堂。木彫阿弥陀如来坐像を祀る。檜の寄木造りで像高85cm。鎌倉時代中期のものと推定される。越後国から運ばれてきたと伝わる。

大円寺 (8)
参道の供養塔。天保15年(1844年)の建立。着色は建立時のものではなく最近のようだ。多分随時行われているのだと思う。

大円寺 (9)
境内の宝塔は享保20年(1735年)の建立。

大円寺 (10)
境内の長谷観音。詳細不明。

大円寺 (11)
境内の一角に馬頭観音がまとめられている。なんとなく長野業盛伝説(上記落合観音堂)との関連性を考えてしまう。考えすぎかな。

大円寺 (12)
大円寺 (13)
大円寺 (14)
墓地に如意輪観音形の墓石が40基以上ある。宝永5年(1708年)、寛保2年(1742年)などの銘があるものもあるが、無銘・無戒名も多い。確認出来た戒名に「童女」とあったので、幼くして亡くなった女の子や女性の墓石として用いられたのだろうか。